2018/05/16

    FUMIKODA - 職人さんとの二人三脚のモノづくりにより生み出せた理想の仕事バッグ(後編)

    理想のバッグがないなら「作ってしまえ」が原点

    キャリア女性に人気のジャパンメイドのバッグブランド「FUMIKODA」のクリエイティブディレクターの幸田フミさん。バッグが誕生するきっかけは何だったのでしょうか?

    「私がデザインに目覚めたきっかけはユニセフのポスターを見たことです。それが結果として社会問題に目覚めることにもつながりました。ビジュアルでメッセージを訴えかけることに興味を持ち、高専に進みましたが退学し、19歳でニューヨークに渡り、Parsons The New School of Designでグラフィックデザインを学びました。卒業後、ニューヨークで働いていて、あらゆるブランドに手を出しましたが、満足のいく仕事バッグに出会えませんでした。女性にとっての大切な武器なので、みんなが完璧なものを求めているのに・・・。働き続ける限りは絶対の武器が欲しかった。ずっと『欲しい欲しい』と嘆いていたら、NYの友人から、『じゃあ自分で作ればいいじゃない』の一言が。『あ、そうだ、よく考えたら私はデザイナーだったんだ』と突然、気づきが降りてきたんです(笑)。バッグデザイナーというよりはグラフィックデザイナーの感覚で、モノづくりをしています」

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    職人とイメージを共有するまでには困難が伴った


    鯖江の職人技術を取り入れたクラッチバッグ。
    カバー部分はスナップボタンで取り外すことができ、
    他のクラッチバッグ「TALA」やショルダーバック「ARIANNA」に使用することも可能。
    写真: TALA Sabae-Clear : クラッチバッグ


    とはいえ、同じモノづくりでもグラフィックデザインとは畑違いのバッグ制作には困難が伴いました。

    「いちばん難しかったのは職人さんにこちらの意図を理解してもらうことでした。長くキャリアを積んだ職人さんならではの固定概念があったり、私のリクエストに首を傾げられたり、勝手が違うと嫌がられました。例えば、天然皮革と人工皮革では、革の“遊び”が違うのです。天然皮革ならば味になるものが、人工皮革は正確にきちんと仕上げないと、美しく見えないのです。IT業界の何度でも手直しする文化とのギャップも大きかったです。『もうおたくとは付き合えないよ』と言われたことも、一度や二度ではありませんでした。ただ、私が素人でバッグ作りの基礎知識がなかったからこそ、理想に向かって一直線に突き進めたことも間違いないと思っています」


    伝統技術を継承する意味でもメイド・イン・ジャパンを追求

    鮮やかなターコイズカラーの金属パーツは高岡銅器製。
    富山県高岡市の着色所・モメンタムファクトリーOriiの職人が手作業で染色している伝統工芸品。
    色彩や模様は、1点ずつ違う世界で一つだけの作品です。
    写真: ARIANNA Takaoka-Douki : ショルダーバッグ


    幸田さんの描く“理想の仕事バッグ”は自分の中には見えていたものの、それを現実の“モノ”に転換するのは簡単ではなかったようです。

    「パートナーありきのモノづくりなので、職人さんには助けられています。パーツに使っている、富山の高岡銅器は弊社のCFOの人脈から始まったものです。福井県・鯖江のセルロースアセテートも、高専時代のネットワークによって実現しました。素材、パーツ、縫製のすべてがメイド・イン・ジャパンです。日本の美意識や伝統技術を活かしながら、世界へ打って出るのが夢です。ブランド名も、最初は国籍不詳な女性の名前でスタートしようと思っていたのですが、アメリカで商標が取れませんでした。あるとき、ブランディングの専門家から、『自分のブランドなんだから自分の名前がいいんじゃないかな』と指摘されました。アルファベットの幸田フミを繋げると、一瞬誰だかわかなないネーミングになると思い、結局そこに落ち着きました。慣れるまでは恥ずかしかったですね」

    写真: 今回お話をうかがった「FUMIKODA(フミコダ)」のクリエイティブディレクター幸田フミさん。


    「FUMIKODA」のバッグは、じわじわと支持を広げています。使い手の理想を叶えてくれる、一度手に入れると離れがたい魅力があるからです。デザイナーの思いと夢が詰まったバッグをあなたのお仕事のパートナーに選んでみてはいかがでしょうか。


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