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茶道宗和流十八代 宇田川宗光 Vol.1
夜咄綺譚を織りなす人

宇田川宗光
Sohko Udagawa
 

1974年東京生まれ。茶道宗和流十八代。 宗和流の流祖・金森宗和は飛騨高山の城主の嫡子であったが、京都に移り茶の湯を専らにする。「姫宗和」と呼ばれるその茶風は公家門跡に好まれ、野々村仁清を指導、春慶塗等の好みの茶道具を作ったことでも知られる。宗和流は二代目より加賀前田家に伝わるが、八代より世襲制を廃止、十四代が東京に移り、以後東京に伝わる。 宇田川宗光は十六代堀宗友に師事し宗和流茶道を学び、2015年に十八代を襲名。大徳寺・真珠庵の山田宗正和尚の下で得度し、寒鴉齋(かんあさい)の號を授かる。根津美術館顧問。好みの茶道具や茶室を作り、茶の湯の愉しさを伝えるべく精力的に活動。茶事を体験できる小間の立礼茶室「夜咄Sahan」を営む。

市中の山居 時を忘れる空間

夜咄Sahanを訪れた日は、雨の夜だった。看板もないこじんまりとした民家の引き戸を開けて入れば、内側には露地があり、連子窓と太鼓張りのにじり口から洩れる柔らかな灯りが茶室へと誘っていた。音はなく、ただ温かな気配だけがする。さっきまで、濡れたアスファルトにネオンが映る都会の喧噪を歩いていたのだが、一体、どこに迷い込んでしまったのだろう。時は2018年、場所は東京で確かだろうか。

夜咄Sahan入り口

扁額 大徳寺真珠庵 山田宗正和尚の書 「夜咄」とは夜に行われる茶事

にじり口からそろりと身体を滑り込ませると、手燭台に揺らめく灯りが、時空を超えた摩訶不思議な空間を浮かび上がらせていた。四畳半もない空間は一見、お茶室のように見えるが、平坦ではなく段差があり、畳はカウンターのようにもなっている。カウンターでもある部分は炉が切られ、天井からは鎖が垂れ、釜が下がっている。そして、床の間には掛け軸がかかり、華が活けてある。日本昔話で読んだ物語にこんな場所があった気がするな、それとも夢に見たのか、記憶を探りながらぼんやりしていると、宇田川が現れた。ひょろりと背が高く、頭を丸めたお坊さんのような宇田川が、この幻想的な空間を更に確固たるものにした。

夜咄Sahan茶室

「田舎に田舎家があっても詰まらないでしょう。茶室は市中の山居、街のなかにあるけど仙人が住んでいるような所、深山幽谷の世界がいきなりぽっと出てくるから面白いんです」。宇田川は、この摩訶不思議な空間について語り出した。 「茶室は四畳半以上を広間と呼び、それ以下を小間と呼びます。Sahanは親密な雰囲気を保てる小間をベースにしたかったんです。そして、正座の大変さを回避する為に椅子座式を取り入れ、リラックスして近しい人達と愉しい時間を味わって貰いたいと思いました」。

三畳中板に一段下がった相伴席を付した茶室は、床脇に違い棚と天袋があり、格天井で高い格式を保ちながら、造りは草庵風になっている。「実はこのアイデアには本歌があって、水瀬神宮の燈心亭なんです。後水尾天皇好みのお茶室ですが、公家サロンには金森宗和も出入りしていたと言われていますし、この空間にちょうど良いと思いました。天井の丸太の格天井も燈心亭に習っています」。

「角の格天井だとお寺のように硬い雰囲気になってしまうので、丸太の格天井にし、また本歌の天井は互い違いに木材を変えていますが、こちらは広さを考慮し、シンプルに木目の向きだけを変えました。茶室の真行草のルールは守り、貴人席は一番高く、相伴席は一段低く、へりくだって亭主は立っているという、伝統的なロジックは変えていません」。型を知らない自由では、独りよがりな野暮なものしか生み出せないが、歴史を踏襲し、徹底した美意識を携え、型を学んだ宇田川が生み出した夜咄Sahanは自由で洗練された空間となっている。

お茶の愉しみ 芽吹く美意識

お茶をいれる宇田川宗光

水指 仁清写雪月花 岩倉焼
茶入 仁清在印 丸壺
茶杓 宇田川宗光共筒 銘 光陰
茶碗 井戸脇 銘 つらゝ 小堀宗中箱
建水 塗曲
蓋置 竹
濃茶 寒鴉齋好 昭陽の昔 一香園詰

お茶をいれる宇田川宗光の手元

「祖母が志野流のお茶とお香をしていたんです。私が幼い頃、先代のお家元と奥様も時々いらっしゃっていました。祖母の所にお客様がいらっしゃると遊んで貰えたんですね。それで、なんとなくお茶を習っていましたら、あるとき入門の免状を頂きました。それが3歳の時でした」。茶席と香席が終わると、お料理屋が来て、美味しい料理とお酒がふるまわれ、皆が昂揚し席は盛り上がった。沢山の人をお茶席に招いて、そして自分もお茶席に呼んで貰える、愉しくて仕方がない、それが宇田川のお茶の原風景となった。

「それから、志野流でお茶を習っていましたが、先代の奥様が亡くなった以降は、暫くお茶を離れている時期がありました。その後、また武家茶の流派で習おうと、大学時代に宗和流に入門したんですね。その時ついた師匠が十六代の堀先生でした」。十六代からお茶道具の見方や美術品の愉しみ方を教わった事により、宇田川に元来備わっていた美意識は芽吹き、お茶への関心や理解は更に深まっていった。

幼少期に体験した愉しいお茶席の原風景、そして、十六代から受け継いだ道具を見る目と美術品を手にする愉しみ。この2つの要素は宇田川のお茶の根底にしっかりと根付いている。「お茶を生活の中にとり入れ、お茶の愉しみを、もうちょっと身近なものに感じて欲しいのです。工芸品、美術品が美術館に見に行くものだけになってしまうと、遠い物になってしまいます。コレクションする人がいて、初めて作家さんが創る事ができます。工芸品や美術品は鑑賞するだけでなく、使って貰う事、そういう機会を作る事が大事なんです」。

茶道宗和流ザッカリトゥーシャン

茶器 宗和好 春慶
茶碗 御本半使 平 銘 九重
薄茶 寒鴉齋好 日影の白 一香園詰

見者のおもてなしの美学

「日本らしいおもてなしは、お互いが思い合っているんです。お茶の場合、濃茶を頂くまでの時間と空間を、亭主とお客様が共に創りあげていく。ですから、自分がおもてなしをされてみないと、何が心地よいか分かりませんし、また、自分もおもてなしをしてみないと、相手が何を望んでるのか分かりません。両方を体験してみないと、良いおもてなしは出来ないものです」。

本来のお茶は、炭をついでお湯が沸くまで懐石料理とお酒がでて、そして濃茶、薄茶を頂くという流れがあり、時には一芸をするなど、自由な趣向を愉しむものだった。また、海外から輸入した珍しい美術品や自分の好みで作らせた工芸品を茶席で披露し競い合う楽しさもあった。亭主もお客も双方に愉しむ心と思い合う心があり、それが日本らしいおもてなしの心をつくり、芸術文化を支えていったのだ。ところが、明治以降はパトロン不在の社会となり、お茶は生き残るべく、学校教育・お稽古という要素を強めていった。これにより、作法や形式にばかりに重きが置かれ、遊び心のあるお茶を愉しめる機会が少なくなってしまったのだ。

夜咄Sahanで愉しめる懐石料理

折敷 真塗
向付 まこ鰈昆布〆 鱒子乗せ 芽葱 花穂紫蘇 二杯酢
器 古染付 鮑
飯 一文字
汁 赤味噌仕立

八寸 鮑 蚕豆

八寸 鮑 蚕豆

「お茶を身近に感じて生活に取り入れていく、そして、現代の日本人が忘れかけていた本当のおもてなしを、お茶を通して、再現していきたいと思うのです。お茶席に呼んでおもてなしをする、お茶席に呼ばれておもてなしをしていただく。双方が思い合い、共に時間と空間を創っていく。突き詰めるお稽古の楽しさもありますが、私は、もっと、お茶本来の楽しさを伝えていきたいのです。Sahanは、お茶事の楽しい部分だけを体験して貰おうという想いで作った場所です。Sahanを入り口にお茶に触れた事がなかった方も興味をもっていただけたら嬉しいです」。


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夜咄sahan
紹介制
要事前予約
住所:東京都新宿区上落合某所
http://yobanashi-sahan.jp/
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